4.今でも残る戦争の跡−2   

  太平洋戦争の末期、特攻兵器として「回天」が発明され、人間魚雷として使用されたことは小学生の頃戦争を扱ったマンガシリーズで読んだりアサヒグラフ(2000年休刊)等の写真で概要は知っていました。また最近では、史実に沿って描かれたと推察される「特攻の島」で、開発から実戦に至るまでかなり詳細に知ることになりました。
 そんなとき、平成24年の夏に宇佐市内にある県立歴史博物館で「宇佐海軍航空隊と大分の戦争」の企画展の一環で「戦争を語り継ぐ会」で「大神回天訓練基地」の紹介や保存の取組の講演があり、この時初めて(たぶん)大分県にこのような施設があったことを認識しました。

 このような基地が近くにあるなら一度見ておきたいと思いつつ、最近、パートで働いている嫁さんと毎週のように山に登っている自分と、一緒の時間が確保できないことが多くなり、なかなか実行出来ませんでしたが、先日ようやく訪問することができました。実は、1ヶ月ほど前に近くの大神ファーム(バラ園)に出かけた際に行けば良かったのですが、気がつくのが遅かったのと、パンフレット等の資料を持っていなかったので諦めた経過もありました。

 下から見上げれば目に付く飛行機とは違い、海中を潜って活動する「潜水艦」の機密性、特殊性もあり情報や資料も少ない印象です。実際、基地があった周辺の地形は複雑で人目に付きにくい場所で、案内等が無ければごく普通の漁港に過ぎません。当日は、講演会の際に頂いたパンフレットと案内板を頼りに施設を見て回りましたが、回天神社、調整プール以外は地下壕施設が殆どで草に覆われ分かりにくかったり、足下が悪かったりと、地下壕などを見学する場合は長靴などを準備をお勧めします。

 回天神社は当初、基地内にあったものを終戦に伴い神体を奉納していたものを軍の依頼により住吉神社境内に遷座し、地区民がお祭りするようになりました。慰霊祭は3年に一度、関係者が全国より集まって行われ、その他の2年間は地区氏子の手で慰霊されているそうです。境内には1/3の模型と大分空港沖から引き上げられた部品の一部が展示され、神社の建物の中には写真や遺書などが展示されていました。

 その他、残っている施設と言えば、地下壕がほとんどで、「戦争遺跡」として整備されていない「宇佐海軍航空隊」の施設も保存状態が良いとは言えせんが、どうしても地上部に遺跡が見えるので見る方としては、とてもリアリティを感じる一方で回天基地の場合「見せる」視点で整備してはどうかなぁ、と感じたところです。

 飛行場に比べ全国でも数少ない「回天基地」。感情を持った人間が武器の一部となり操縦し相手を攻撃する「特攻」の悲惨さは陸海空、方法は多岐に及ぶとともに軍国主義が支配する時代背景、戦況等も荷担した結果とはいえ当然死を強いる不条理極まりない方法であり、根っこは「戦争」に端を発しています。最近の憲法9条改正に向けた動きも含め、このような遺跡の保存や戦争を知らない世代への発信基地として全国に残る戦争遺跡を負の遺産として整備して欲しい、と感じたところです。(2013.6.22)

【憲法第9条】
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


【回天大神基地概要】

番号が付せられた箇所は残存しているようですが10〜13は場所を特定できませんでした。
また、回天神社周辺を除き、足下が悪い場所が多いので長靴の持参をお勧めします。



 (1)
 回天神社。


 (2)
 鳥居と神社。神社の中に写真や資料等が展示されています。





 (3)
 回天の1/3の模型と海中から引き上げられた推進部。



 (4)
 3種の神器。これは見ることができませんでした。




 (5)
 推進部。


 (6)
 同左前方から。
  平和祈願奉納書
  人間魚雷回天機関部   作詞者氏名

 本一基は第二次世界大戦末期において回天特攻隊員が搭乗され多くの若桜が烈士として捨身殉国の壮挙に参陳戦死者を出しました。
 人間魚雷の一部回天の機関部と推進器です。この人間魚雷回天は九三式魚雷機関部等を平成七年(一九九五年)七月二日杵築市狩宿の漁師(氏名)が大分空港一六〇〇メートル沖合に漁網にかけ引上げました。当時海水浴場のサメ侵入防止網設置の狩宿区三役が協議し〇〇氏宅に保管していました。
 ところが平成一三年四月吉日回天神社の改築に際し魚雷の保管中のことを旧人間魚雷特攻隊員の知る処となり大分県在住の元同特攻隊員四名が同魚雷を見分しこの魚雷一基は九三式人間魚雷である旨確認をいたしました。
 本体経緯から同人間魚雷回天を回天神社の大祭に銘して本日神社に奉納して、半世紀有余前に国防の第一線特殊兵器として大海を地に染めたこの回天を自今長く長く続く平和の守り神となりますように祈願し奉納いたします。

        平成一四年四月二十四日
                                 奉納同士一同    回天機関部第一発見者 四名の氏名    回天保管者 一名の氏名 

          ※上記が模型および推進部の前に掲示されています。原文は縦書きです。




 (7)
 展示されていた写真の一部。




 (8)
 同左。シャツの柄が少し写り込んでいますm(_ _)m

 (9)
 A酸素圧縮ポンプ室入口。




 (10)
 同左、内側から。コンクリート製の台座がありました。

 (11)
 防空壕と異なり、高さもあり結構大きいです。




 (12)
 入口がつぶれた壕もありました。




 (13)
 記念碑。





 (14)
 記念碑の反対側から。奥の小高い場所に回天神社があります。

 (15)
 D魚雷調整プール。




 (16)
 同左の説明。

 (17)
  B回天格納庫。
  回天神社の真下にあり反対側(大神漁港)まで突き抜けています。





 (18)
 G各科 の壕。
 

 (19)
 (18)の内側から撮影




 (20)
 M各科倉庫壕。
 この辺りは徒歩となります。




 (21)
 N変電所





 (22)
 同左、内側から。入口付近には四角の穴があります。

 (23)
 穴の拡大。コンクリの壁に複雑な型があけられています。




 (24)
 入口から反対側に出たところ。


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