《 掩体壕の中の様子 》 | ||
当時は、このように飛行機が収められていました。 (城井1号掩体壕の中の地面には、白く飛行機の型が描かれています。) |
※ 掩体壕の天井には足跡が残っています。掩体壕を造る時に、 勤労奉仕の人たちが 小山の上の土を足で踏み固めた時の跡だそうです。 |
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※ コンクリートがむき出しになっている掩体壕がありますが、覆われていた土は、 戦後 新しく畑を作るために使われました。 |
これらの掩体壕は、今のようなブルトーザーやパワーショベルがない時代ですので、すべて人の手によって造られました。 つるはしやスコップで土を掘り、モッコで運ぶなど、とても大変な仕事でした。
勤労奉仕といって、地元の人だけでなく、高田・安心院・院内・中津・下毛からも人がやって来て、作業にあたりました。中学生や女学生もかり出されたそうです。 ※ 爆撃によって穴の開いた滑走路の修理も同じく、そうした人たちの 勤労奉仕によるものでした。 |
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《無蓋掩体壕》 | |
コンクリート等を使わず、コの字型に土の壁を築いた だけで、内部に飛行機を収めたもの。近くに落ちた爆弾 の爆風・破片を防ぎ、直撃弾を受けなければ、飛行機を守ることができます。 空から見てわからないように、 飛行機に木の枝や草などをつけた漁網をかぶせていました。 ※ 工期も短く、建造技術も簡易なことから掩体壕では 最も多く造られました。 |
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滑走路に続く畑田地区の誘導路と無蓋掩体壕群 |
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