私たちの住んでいる宇佐には、昔、戦闘機(戦争で戦うための飛行機)の基地がありました。 「宇佐海軍航空隊」といいます。「この田畑の広がる のどかな宇佐平野に・・・?」と不思議な気がしますが、滑走路跡のモニュメント(石碑)や掩体壕が、当時の様子を 静かに語っています。 |
広大な水田が広がる宇佐平野。ほんの60年前にはここに特攻隊の基地がありました。 |
《 宇佐航空隊 滑走路あと 》 | |
現在ある道路とほぼ同じ位置に、 長さ1800メートル、 幅80メートルの滑走路がありました。 写真左の宇佐航空隊のモニュメントは、この道路上に2ヵ所あります。 帽子を振って 特攻機を見送った場所だと言われています。 |
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※ 終戦後、コンクリートの滑走路は人々の手によって、田んぼに戻されま した。砕かれたコンクリートは取り除かれましたが、土の中に埋め込まれているものも
あるそうです。 ※ 乙女や畑田地区などでは、ブロックのように積み上げられ、塀として残っている所もあります。 |
滑走路のコンクリート片。CDケースと比べてみてください。 |
石垣に使用されている滑走路のコンクリート片。 |
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