プロローグ

 私たちが住む宇佐市には、昭和14年に練習用の航空隊である「宇佐海軍航空隊」が配置されました。家内はサークル活動の一環で「宇佐海軍航空隊」調査を始めました。戦局の悪化に伴い、ここから多くの若者が「神風特攻隊」の名のもと、南方に飛び立ちました。自分も時々、調査の写真係として付き合っているうちに全体像が見えてくると、特攻隊だけでなく戦争があったことをHPとして公表した方が良いのでは、と考えました。

 戦争を知らない世代の自分たちも過去の記憶をたどれば、ごく普通に戦争の「跡」が残る小学校で学び、戦死された方が合同で葬られている「慰靈塔」で遊び、奥行きが数百メートルもある防空壕を探検したり、両親からは戦争時代にB29爆撃機の空襲を受け落ちてくる爆弾を見上げ、下級生を背負って逃げた話、機関銃を作った話、叔母からは飛行機を隠す「掩体壕」を勉強もせずに造らせられていた話等々。
 今でも、宇佐平野には戦跡が残っていますが、敗戦国としてこのような「跡」を残したくなかったでは無いかと思うくらい、ほとんど維持管理されている「跡」はありません。いつ、無くなるかは時間の問題でもあるような気がします。

 微力ながら自分たちができることとして、少しでも今のうちに宇佐平野に残された戦跡を見て頂きたいと思い、HPとして公開することとしました。
 以下は、家内が文章にまとめた内容です。小学生とその親御さんに一緒に見て頂けるようにまとめてありますのでご利用して頂ければ幸いです。

はじめに

 長洲小学校では、毎年 8月 6日の平和集会で、6年生が修学旅行で訪れた被爆地(長崎・広島)のことや 原爆についての発表をしています。語り部さんのお話や 自分たちが実際に見たこと感じたことを、絵に描いたり、写真をスクリーンに映したりして、下級生にわかりやすく説明をしてくれます。
 私たち「おはなしや.」のメンバーは、毎年この日は「平和の読み聞かせ」をしているので、その発表を見せていただいていますが、6年生の子どもたちが 戦争の恐ろしさを知り、平和がいかに大切かということをしっかりと受け止め、最上級生として それを真剣に下級生に伝えようとする姿は、心打たれるものがあります。是非、続けて欲しい活動です。また、その子どもたちの姿を、より多くの人たちに見て頂きたいと思います。

 さて「おはなしや.」では、平成16年 8月 6日の 平和集会に、『平和への願い』というタイトルで、「宇佐航空隊と宇佐の空襲」について発表をしました。戦争は「昔のこと、遠い所でのこと、自分には関係のないこと」と思いがちですが、調べていくうちに 私たちの住んでいるこの宇佐には、掩体壕をはじめ 今もたくさんの「戦争の傷跡」が残っていることがわかりました。
 また、宇佐に住んでいるのに 昔ここで起こった事実など、知らないことが多すぎることにも 気付かされました。
 悲しい歴史を繰り返さないためにも、今 本当の戦争を知らない戦後生まれの私たちが、自分の目で宇佐に残る戦跡を見て、戦争の恐ろしさを実感することはとても大切なことだと思います。平成12年度卒業生の皆さんは、6年生の時 学年の取り組みで、航空隊について調べたり、詳しい方のお話を聞いたり、また実際にウォークラリーという形で、親子で戦争遺跡に足を運んだりされたそうですが、とても有意義だったと聞いております。

 今回 私たちは、宇佐で起こった事、私たちの身近で起こった事実を、是非みなさんに知ってもらうために、先輩たちの記録や資料を含めて、ファイルとして残すことにしました。改めて平和についてもっと身近な所から見直すきっかけになればと思っています。これから先 みなさんが、見たり聞いたり調べたりしたことがあれば、そのつど書き加えていきたいと思いますので、その時は、是非、「おはなしや.」のおじちゃん、おばちゃんに教えて下さい。

                           平成17年 2月  
                           長洲小学校 読み聞かせサークル  「おはなしや.」

  ※当時製作したファイルは長洲小学校の図書室に保管して頂いております。

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