プロローグ 私たちが住む宇佐市には、昭和14年に練習用の航空隊である「宇佐海軍航空隊」が配置されました。家内はサークル活動の一環で「宇佐海軍航空隊」調査を始めました。戦局の悪化に伴い、ここから多くの若者が「神風特攻隊」の名のもと、南方に飛び立ちました。自分も時々、調査の写真係として付き合っているうちに全体像が見えてくると、特攻隊だけでなく戦争があったことをHPとして公表した方が良いのでは、と考えました。 戦争を知らない世代の自分たちも過去の記憶をたどれば、ごく普通に戦争の「跡」が残る小学校で学び、戦死された方が合同で葬られている「慰靈塔」で遊び、奥行きが数百メートルもある防空壕を探検したり、両親からは戦争時代にB29爆撃機の空襲を受け落ちてくる爆弾を見上げ、下級生を背負って逃げた話、機関銃を作った話、叔母からは飛行機を隠す「掩体壕」を勉強もせずに造らせられていた話等々。 今でも、宇佐平野には戦跡が残っていますが、敗戦国としてこのような「跡」を残したくなかったでは無いかと思うくらい、ほとんど維持管理されている「跡」はありません。いつ、無くなるかは時間の問題でもあるような気がします。 微力ながら自分たちができることとして、少しでも今のうちに宇佐平野に残された戦跡を見て頂きたいと思い、HPとして公開することとしました。 以下は、家内が文章にまとめた内容です。小学生とその親御さんに一緒に見て頂けるようにまとめてありますのでご利用して頂ければ幸いです。 |
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※当時製作したファイルは長洲小学校の図書室に保管して頂いております。
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