4.今でも残る戦争の跡−2
 日曜日の朝、雨の予報で山に行けず新聞に目を通していると「宇佐市平和資料館」開設の記事とともに、零式戦闘機の実物大の模型が展示されていることが報じられていました。市報などで映画「永遠の0(原作:百田尚樹)」で使用された実物大の零戦の模型を購入する経費が予算化されたこと、機体の一部がすでに市内のどこかの倉庫に運び込まれた等の情報を聞き及んでいました。しかし、その後零戦の模型や資料館がどうなったか忘れていましたが、新聞によると6月29日(土)に開設されたことが報じられていました。開館は午前9時〜午後5時(火曜日は休館日)で入場は無料でした。

 宇佐市は戦争の悲惨さや平和の尊さを伝えるために、戦争関連資料を集めて展示する平和ミュージアム(仮称)の建設を進めており、資料館はそれまでの仮住まいとして宇佐土地改良区所有の倉庫を借りて活用したそうです。

 家内と12時前に資料館の前に着くと、老若男女を問わず多くの方々が見学にきており、熱心に展示物を覗き込んでいました。  市の担当者によると関連資料は広報等の呼びかけにより1,000点近く集まっているそうなので、現在の展示物はそのうちのごく僅かになります。倉庫の中央には零戦が置かれ、操縦席付近まで上がれるように階段が設置されています。模型とはいえ映画で使用されただけに外観はリアルに加工され、本物感は十分でした。これまでも何カ所かこのような資料館を訪問しましたが、やはり本物や実物大が訴える迫力は色んな写真や資料で見せられるより訴えかけるものがあります。
 その他、倉庫の一角ではアメリカで入手したガンカメラのフィルムの公開されたり、宇佐市が着実に宇佐海軍航空隊の資料を収集、保存、かつ後世に伝えようとしているスタンスに感激したところです。
 
 戦争のような負の遺産は、あるがままの姿を脚色無しに伝えて欲しいと、常日頃思っています。何カ所か資料館等を見学すると思い入れ等が前面にでた展示や戦後の方の想像で作成されたものの展示を見かけることがあります。戦争で不本意に亡くなられた方に対する気持ちの表現としてわからない訳ではありませんが、粛々、淡々と戦争があった事実と二度と戦争を繰り返さないことを考えさせてもらえる展示を期待しています。

 負の遺産である戦争を題材にした資料館は、戦争下において人間の個性が否定され、特攻に象徴されるように人間も「部品」の一部とされてしまうことに反発出来なかった時代の空気や背景、もし自分が特攻の兵士として指名された場合どんな風に感じるか、残された家族の思いがどんなだったか、自分たちも含め戦争を知らない世代でも、そんな想像を容易に行えるような「場」となれば良いなぁ、と改めて感じました。


以下、宇佐市のHPより抜粋 (HPには展示資料の概要、開館日、交通アクセス等も掲載されています)
 「宇佐海軍航空隊は昭和14(1939)年10月1日に、実戦訓練を行う航空隊として開隊しました。
  しかし、米軍の空襲を受けるようになった太平洋戦争末期には特別攻撃隊の基地となり、多くの若者が南の空に飛び立っていきました。
  市内には、城井1号掩体壕をはじめ、空襲の痕が残る落下傘整備所や爆弾池など、多数の戦争遺跡が現在も残っており、戦争の悲惨さを伝えています。
  宇佐海軍航空隊の歴史や、宇佐への空襲について展示する宇佐市平和資料館が平成25年6月29日に開館しました。 
  宇佐市平和資料館では、宇佐海軍航空隊の歴史や宇佐への空襲、宇佐から出撃した特別攻撃隊、市内の戦争遺跡について解説します。加えて、実物大の零戦21型模型を使って、当時の戦闘機の大きさなどを肌で感じられる展示を行います。
  命の尊さや平和の大切さを学ぶ場として、当館をご利用いただければ幸いです。」




(1)
 新聞記事。某紙大分版に掲載された記事を見て出かけました。





(2)
 仮住まいの資料館です。



 (3)
 資料館のポスター。




 (4)
 展示の様子。パネルが壁に掛けられ、その前に展示物が並べられています。


 (5)
 このような勢いのある文言の一方で、知覧等で拝見した遺書を読んだお陰で思わず行間を見つめてしまいます。




 (6)
 アメリカで発見されたガンカメラによる空襲の様子も視聴できます。

 (7)
 宇佐海軍航空隊の概要。


 (8)
 宇佐海軍航空隊が受けた主な空襲。基地だけでなく近隣の市民も多数犠牲になりました。






 (9)
尾翼の「721」宇佐海軍航空隊を示しているそうです。





 (10)
コクピット





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