4.今でも残る戦争の跡−2
<< 桜花 >>
 桜花はグライダーのような機体に 1.2トンもの爆弾を積み、人が乗ったまま爆薬と共に敵機に突っ込む、人間ミサイルです。
  敵部隊に近くになると、桜花隊員は母機である「一式陸上攻撃機」から乗入口 を通って「桜花」に移ります。敵艦船との距離 1万メートル、最低高度 3千 メートルで母機より離れ、 ロケット噴射をしながら滑空して、敵艦船に体当たりをしました。

    全長   6.07 メートル
    全幅   5.12 メートル
    全高   1.16 メートル
    搭乗員 1名
    航続距離  37 キロメートル
    全備重量  2,140 キログラム
    (うち爆薬  1,200 キログラム) 機体前方が1,200キロ爆弾

 430機が実線に投入され、戦果を挙げたのは1機のみと乏しく作戦は中止されました。
 



<<一式陸上攻撃機>>
 最大の特徴は、航続距離が長いこと。翼にあるタンクに たくさんの燃料 を積むことができたので、長い距離を飛ぶことができました。しかしこのタン クには防弾設備が一切なく、敵の戦闘機の機銃の弾が 一発命中しただけでも 火をふいて墜落してしまったそうです。
 (「一式陸攻」のあだ名は「ワンショット ライター」)
  しかも、速度が遅く運動性能も悪く機体が大きいため、飛行中に敵戦闘機に見つかれば簡単に追いつかれ、機銃で反撃するものの、撃ち落とされることが多かったといいます。

  全長  19.97 メートル
  全幅 24.88 メートル
  全高 4.11 メートル
  搭乗員 7名
  航続距離 2,500 キロメートル
  最高速度 時速 437.1 キロ メートル


 
   


 一式陸攻の機体の下に「桜花」を吊り下げ、適地に向かいました。
 宇佐にある大型の掩体壕は主に「一式陸攻」を格納していたそうです。また、桜花は法鏡寺交差点から宇佐に向かう途中の縁無坂付近に格納されていたそうです。


<「一式陸上攻撃機 」と「桜花」の運命 >
 戦争が激しくなるにつれて一式陸攻の被害が大きくなったので、この飛行機は夜間しか飛ぶことが出来なくなり、その後他の飛行機と同様、強制的に特攻攻撃に参加させられることになりました。
 特攻としての一式陸攻の役目は、人間爆弾である「桜花」を飛行機の下に吊るし、攻撃目標まで運んで行って切り離して帰ってくることでした。
 しかし、一式陸攻はもともと飛行速度が遅いうえに「桜花」を吊り下げることで ますます動きが鈍くなり、たくさんの護衛機に守られ飛び立って行きましたが、そのほとんどが目標にたどりつく前に、「桜花」と共に撃ち落とされてしまったそうです。



<<B−29>>
 アメリカの特別性能のよい 大型の爆撃機。
 機銃(備え付けの銃)は10丁、爆弾を 9トン積むことができました。

   全長  約 30 メートル
   全幅  約 43 メートル
   航続距離 6,000 キロメートル
   搭乗員  10名

※ 日本の各地を空襲し、日本を恐怖におとしいれた飛行機です。
 広島や長崎に原爆を落としたのも B-29 でした。
 


< 戦闘機に見られる「アメリカ軍と日本軍の考え方 」の違い>

 アメリカ軍は航空機の防弾装備を充実させ、パイロットの生還に全力をあげましたが、日本軍は防弾装備を「軟弱な発想」として否定。
 「攻撃こそ最大の防御」とし、パラシュートすら積ませず、撃墜されたら死ぬのも仕方ないという考えでした。 また、日本軍の航空機は、米軍機の1ランク下のエンジンしか使えなかった上に 軍部のムチャな要求のため、必然的に速力と航続距離を低下させる、重い防弾装備は無視せざるを得ない状況でした。
 結果として日本軍は、熟練した技量を持つパイロットを失うこととなり、圧倒的な物資を誇り、人間性を重視した連合軍に敗退していきました。



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