雪もクラスト化し楽ちんでした〜   

 3月11日金曜日、県内出張の帰り国会中継でも聞こうかなぁ、と思い車のラジオを入れると、何やら地震があったような放送。良く状況が飲み込めないまま、自宅に帰りテレビを見ると、「? どこの話?」 でも、それは紛れもなく日本でしかも東北から関東までの大地震。その後の映像は信じられない光景が繰り返し放送され、翌12日は一夜明けたあとの惨状・・・ 地元を振り返れば津波警報。普通ならさほど気にもしませんが、さすがに東北の惨状を目の当たりにするとここまで来るか?、と緊張が走りました。津波到達時刻前後、何度か外の景色を確認もしたところです。

 本当は12日に登る予定でしたが、津波警報が出た状態で山は無いでしょ、ということで、15分ほどで登れる地元低山に出掛けた他は自宅待機状態。14時過ぎに注意報になったものの、このような惨状を知りながら・・・自粛すべきかなぁ、と。でも何も変わらない。現場に行ける状況でもなし・・・
 昔の上司曰く「何もしてあげられない時は、一緒に泣け」。それと、ヨーロッパ出張時に「9.11事件」が発生、ヨーロッパの方は公共施設の前で花を手向け哀悼の意を表し、ミサでお祈りをしたりしていた事を思いだし「祈る」ことしか無いのかなぁ、それと募金。ということで震災で亡くなられた方のご冥福と一人でも多くの方が救助されることを祈りながら10日の神原ルートと同様ひたすら登ることに徹しました。

 1ヶ月ぶりの黒金山尾根はほぼ想定通り、雪はクラスト化し楽に登ることが出来ました。雪は1350m以上で残っていて1,400m以上から縦走路まで圧雪し、ほとんど踏み抜くことはありませんでした。縦走路も日当たりの状況で雪がある箇所と無い箇所が半々でしたが縦走路はアイゼンは不要かなぁ、と。ただし、縦走路手前と山頂直前の梯子場はアイゼンが必要かと思いました。梯子場は前回と異なり梯子は見え、足元の雪も固まっているので歩きやすくなっていますが、滑ると洒落にならない状況でもあります。
 ところが、梯子場に取り付く前にアイゼンを装着しようとザックの背中を見ると、右足しか無い!なんと左足を落とした!! 本当は宮原へ降りる予定でしたがやむを得ず、往復することとし、右足だけでなんとか梯子場を通過したところです。
 往復した甲斐もあり帰りに左足を発見することができました。

 話は前後しますが、縦走路から祖母山頂を見上げると、今まで見えなかったアルミの梯子が架かっています。冬場はこちらのルートがあるとの情報を頂いたので、下りはこちらを使用してみることにしましたが・・・
 下る際に使用しましたが、なんとか梯子の所まで行き恐る恐るロープを頼りに下り、改めて梯子を確認するとただ立て掛けているだけ(少なくとも自分にはそう見えた)だったので、梯子だけを頼りにすると奈落の底に落ちる可能性があり要注意です。

 山頂には9時過ぎに着き、普通の時期とほとんど変わらない時間で山頂に到着。
 しばし、汗で濡れた背中を太陽に向けながらお茶を飲み、10時には下山、誰一人会うことも無く下山しました。登山口も自分の車だけでやっぱり皆自粛しているのかなぁ、と大分市方面に近づくにつれ車も増え高速の入口は渋滞、そー言えば近くのパチンコ屋さんの駐車場も満杯、天気も良いし・・・

 話は全く飛びますが、14日はホワイトデー。昔はマシュマロデーとも呼んでいたような。ということでバレンタインデーはチョコレートなのにホワイトデーはクッキー、マシュマロ、キャンデー等々なんでも有りの様相です。ならば、ということで日本人なら和菓子でしょ、ということで竹田市の老舗の和菓子にすることにしました。

 こうやって、山に登り、暖かい部屋で食事をしてこのような普通の生活ができることを感謝する一日でした。
  (2011.3.13) 



 






 (1)1,300mポスト
 





 (2)少し雪が見え始めました。
 





(3)1,400mになるとしっかり雪がありました。





(4)間もなく縦走路。
ようやく本来の登山道を歩くことができました。







 (5)縦走路。
日当たりの良い場所では溶けています。




 

 (6)前回、雪でなぎ倒されていたスズタケ地帯。






(7)





 (8)こんな場所も結構あり、スズタケについ足を引っかけて転けそうになります


 


(9)雪が残っている場所。
自分の足跡らしいものも・・・






 (10)アルミの梯子が (○)の位置。





 

(11)こんな感じで通過しました。





(12)山頂より





(13)くじゅう。





(14)大障子岩方面





(15)川上渓谷の水も何となく春の匂い






(15)左足発見!!