和尚山 327.3m

 せっかくの土曜日だけど天気は明日から大雨の予報。とりあえず近場でお手軽に登れるところと考え長安寺の上に見える屋山を選びました。NHKの中継所があるためか、かなり上まで車が登れる道があります。できれば長安寺から歩いて登りましょう。長安寺自体歴史のある寺ですがよく見ると、紅葉の大木やシャクナゲの植栽がされていたりされています。頂上やその周辺は史跡がありそれなりに味があります。頂上の尾根を北端に歩くと両子山、並石ダム方面の展望がひらけます。GPSルートはこちら。

   ア  ク  セ  ス
国道213号線、豊後高田市の明屋(本)のある交差点から両子山方面へ9.6km、屋山入り口の看板から2.3km

よっちゃんの独断と偏見きわまるルート評価
総合
評価
登山道 標識 山道
展望
山頂
展望
自然 被写体 体力 携帯 GPS 駐車場 ロープ 赤テープ
不要 不要
山としての面白みは欠けますが、頂上の史跡、長安寺をセットにすれば3〜4の評価。特にシャクナゲ、紅葉の時期はお勧め。

(1)
 長安寺からはこの階段から登ります。途中で道に出会うのでこれを右に歩きます。

(2)
車道終点。 かなり上まで未舗装ですが車道があります。

(3)
 登山道の様子

(4)
 NHK中継所。たぶん。ここまでが主な上りです。

(5)
 三角点。
 尾根道は結構風倒木でが多いですが、踏み跡は明確です。

(6)
 山頂の祠です。
台風のせいなのか屋根が手前に転がっています。

(7)
 「河野貞八翁」が建立したという石灯籠。
 山頂から北側奥に立てられています。

(8)
 城跡の記念碑。

(9)
 山頂北端より両子山方面を望む。

(10)
 同じく、並石ダム。

(11)
 長安寺に行く途中の路傍にあった石仏。



(1)
 長安寺の境内から階段を上り、交差した道を右へ。

(2)
 最初の分岐は左へ。

(3)
 次の分岐を右へ。
 あとは一本道です。

(4)
 山頂付近はやや風倒木が多いです。
@写真(7)の石灯籠の説明です。
河野貞八翁建立
 「翁ハ天保十二年正月加禮川村字新田ニ生ル
資性温良泰儉身ヲ奉ズルコト 勤勉カ行極メテ簡素倹約ニシテ克グ座ヲ治ム夙ニ敬神の念厚ク
明治十年家運長久四海平穏ヲ祈願シテ石灯籠ヲ建立シ常夜麓ヨリ燈ヲ供進ス」

A長安寺解説(一部意味が不明な部分もありますが、ほぼ原文とおりのはずです)
六郷満山中山本寺 金剛山長安寺(天台宗)
   豊後高田市大字加礼川字屋山

本 尊 千手観音菩薩

由 緒
 元正天皇御宇養老二年(七一八)仁聞菩薩の開基と伝える
平安末期国東半島の六郷に仏教文化が華咲いた 鎌倉時代
この寺が六郷山寺院の惣山として最盛期を迎える
学頭職や惣別当職がおかれ満山百余ヶ寺約一千人の僧侶を統率
事あるに臨み国家の安泰将軍家の隆盛を祈祷す 南北朝 室町
時代は武家の勢力に押されながら安土桃山時代屋山城主 吉弘
鎮信及びその子統幸は 長安寺の別当 執行権を握り主軸とな
った 仏神の恵みと武家の力は寺勢を増大 庶民信仰の霊場と
しても反映した古刹である

文化財
 1.太郎天像及び二童子立像国重文 昭和四十五年五月二十五日 
   大治五年(一一三〇) 僧義暹 同勝智 同圓尋の作 榧材一木割矧ぎ造り
 2.銅板経 附 銅筥板  国重文 昭和二十五年八月二十九日
   保延七年(一一四一) 僧源増 紀長雅 紀重永等が供養
 3.国東塔 一基    県有文 昭和五十四年五月十五日
 4.長安寺含二院十一坊跡六所権現社 県史跡 昭和五十四年五月十五日
 5.宝篋印塔一基     市有文 昭和五十二年四月 一日
 6.その他
     阿弥陀如来像 地蔵菩薩立像 不動明王立像
     石造美術品  修正鬼会仮面等寺宝がある

産小屋解説
 不浄道から上の居住者で妊婦が産気づくと産小屋で出産する
 忌明けを待って産婦は目出度く家に帰る古習が今もなお受け
 継がれている

本日のタイムテーブル(移動時間のみ)
出発地点   到着地点 所要時間
(分)
長安寺 山頂 25
山頂 長安寺 20
 全所用時間 1時間20分
頂上付近の史跡等の見物を含めた時間です。