和尚山 327.3m
 3月の3連休。3月20日は福岡西方地震に見舞われ、福岡に住む両親とまったく連絡が取れず、佐賀県経由で福岡に入り、帰り着いたのが夜中の12時過ぎ。翌朝、外を見ると絶好のお出かけ日より。花粉症の方にはちと辛い天気だったかも。

 以前から山頂を極めたいと思っていた、近場の低山「応利山」を登ることにしました。
「応利山」には国東六郷満山霊場めぐり第一番札所でもある「大折山(応利山)報恩寺(天台宗)」があります。通常は無人でご本尊は年2回だけ開帳するそうです。

 寺まではすっかりコンクリートの階段で整備され、寺周辺も無人の割には良く整備されています。道の途中からは豊後高田市方面が良く見えます。報恩寺の下には広場が整備されて景色も良く、家族でゆっくり景色を楽しみながら弁当を食べるにはもってこいです。整備が完了したのはつい最近らしく、少し前のHPには昔の登山道の様子が紹介されています。

 寺の裏には「風の神」が祀られていて、六郷満山特有の神仏混合を目の当たりにできます。「風の神」から山頂となる三角点までは水色のビニルテープをたよりに歩きます。プチ藪こぎです。途中、竹藪で少し難儀しますが、ほんの少しです。ちょうど、自分が帰るときに竹藪と格闘していた夫婦がめげていました。

 山頂には三角点と少しの広場しかありません。景色は見えません。でも自然林が気持ち良かったです。帰りは「風の神」の裏に祠があり、そこから「報恩寺」に直接下る道があります。

 天気も良かったこともありますが、15人ほどの家族連れや夫婦に会い、地元の方に親しまれている山だなぁという印象です。本日は、下の入り口の看板付近から歩きましたが、階段が始まるところにも駐車場があります。下から歩くと往復約5km、時間で2時間程度でした。

よっちゃんの独断と偏見きわまるルート評価
総合
評価
登山道 標識 山道
展望
山頂
展望
自然 被写体 体力 携帯 GPS 駐車場 ロープ 赤テープ
不要 不要
小さい子ども連れのハイキングにはもってこいです。

(1)
 応利山登山口の看板です。
 国道10号線から国道213号線へ入り、豊後高田市内へ向かう途中
ローソンの信号機を右に曲がり、約2.5kmです。

(2)
 登山口看板から約700m。整備された階段が始まります。左側の看板に応利山の説明があります。

(3)
 時々、振り返ると豊後高田市の市街を見下ろせます。 

(4)
 鬼岩。高さは2m位です。登る方から見ると確かに鬼の顔の様に見えます。
 

(5)
 このすぐ上にある報恩寺の仁王像です。

(6)
 同じく、仁王像。1729年、享保14年作とあります。

(7)
 「風の神」へ登る階段ですが。手前に壊れた鳥居が散乱しています。

(8)
 風の神です。
山頂には左側から登り、風の神の後ろを歩いていきます。
 ビニルひも、赤テープの目印があります。

(9)
 風の神からは山頂までは短い距離ですが、自然林です。

(10)
 山頂。ここからは景色は見えません。途中竹林の抵抗に遭遇しますが、すぐに終わります。

(11)
 報恩寺下の展望台から見える豊後高田市の市街地と桂川河口。
 豊後高田市は「昭和の町」で観光地になりつつあります。

(12)
 登山口から少し国東半島よりに「掛割遺跡」があります。
 ここにはトイレもあります。応利山とセットでどうぞ。


六郷満山本山本寺
  大折山(応利山)報恩寺(天台宗)
   国東六郷満山霊場めぐり第一番札所
   ・開基 仁聞菩薩 養老二年(七一八年)
   ・本尊 千手観世音菩薩(木造一一三糎)

  寺伝云 「養老二年仁聞菩薩宇佐八幡の神託を蒙り、神功皇后追福の為千手観音を祀り、その後弘仁二年、伝教大師最澄宇佐神宮参 籠の折、当山に詣で広く円頓の妙旨を伝え、宗徒悉く帰依し天台宗となり爾来顕密の教法を兼ね国家安寧、万民快楽の修法を修す。
 往寺は七堂伽藍を整え末寺三十六坊を有す。
 幾約星霜の後殊に天正年間大友の兵火に焼かれ、以降衰微の一途を辿る。寛永寛文時代黄檗宗の禅師により再興され天台を離れてい ったが昭和二十七年再び復帰し今日に至る。」

  境内主祭神及び文化財
   ・主風大菩薩
   ・神宮皇后追福塔
   ・石造仁王像(享保十四年、一七二九年)
   ・制札掲示跡 等 
 割掛遺跡看板内容
  割掛(わりかけ)遺跡は1992年の発掘調査によって確認された、弥生時代中期から 古墳時代前期にかけての墓地を伴う集落跡と、鎌倉時代から室町時代にかけての堀  や土塁を廻らす館跡との複合遺跡です。
  弥生から古墳時代にかけての遺構としては、竪穴式住居跡が20数基と石棺墓・石蓋 土壙墓が5基確認され、石棺墓などの内容や副葬品からみてこの地域の拠点的集落  の南端部を占める遺跡であることが解りました。
  中世の遺構としては、13世紀代の館跡の一部が確認されました。館跡は1辺80m以 上に及ぶ掘割を持つもので、この当時の館跡としては西日本では最大級の規模です。
  現在、遺跡の大部分は保存され水田の下に埋まっています。1993年8月12日に遺 跡の一部が市の史跡指定をうけました。
 旧道は登れなくも無さそうですが、新しい道を登った方が無難と思います。階段開始地点には車を15台は停めることが出来る駐車場があります。普通の登山道は報恩寺から先です。