7月12日。この時はまだ忙しくなることに気が付いてなくて、脳天気な性格と子供が訳あって学校を休んだので二人で午後から両子山に登ることにしました。 覚悟はしていましたが山登りというよりひたすらコンクリートの急勾配の坂道を修行のように歩く1時間でした。往復約5km、標高差340mと以外とあります。 下手な山道を歩くよりよっぽど足にこたえました。牧の戸から展望台までの道が約1時間続くと考えて頂ければ良いかと思います。帰りに両子山七不思議コースを歩いてちょっと山を歩いた気分になりました。このコースは両子山に登ったときは取り入れることをお勧めします。 なお、入山料は「無料」と聞いていましたが、受付で「100円」取られました。(2004.7.12) |
総合 評価 |
登山道 | 標識 | 山道 展望 |
山頂 展望 |
自然 | 被写体 | 体力 | 携帯 | GPS | 駐車場 | ロープ | 赤テープ |
2 | コンクリ舗装 | − | 2 | 4 | 2 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 不要 | 不要 |
(1) 有名な仁王像です。下の駐車場から登りましょう。 |
(2) 受付を通過してすぐの光景です。 |
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(3) 写真(2)の建物を突き当たり、右に行くと舗装した道があり、これをひたすら登ります。 |
(4) 見てのとおりのうねうねの急坂です。覚悟しましょう。 |
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(5) 頂上と展望台。 天気が良ければもっと見通しは効くはず。 |
(6) 展望台からの風景とレーダー。 |
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(7) コースの途中にある石仏群。両子寺の七不思議。 せっかくですから歩くことをお勧めします。 |
(8) 七不思議は奥の院の手前に降りつきます。鎖がありますが、雨の日は滑りそうなので注意しましょう。 |
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(9) 国東半島最古の仁王像だそうです。奥の院から降りてくるとあります。 |
県指定史跡(昭和四十一年三月二十二日指定) 足曳山両子寺 所在地 大分県東国東郡安岐町大字両子 所有者 両 子 寺 足曳山両子寺は養老二年(七一八)、仁聞菩薩の開基とされているが、創立年代については明らかではない。 当寺院は、神仏混合のの全国希有の寺で、六郷満山の正宗分中山十カ寺の一つに数えられ、天台宗延暦寺派に属する。 鎌倉時代には六郷満山の執行を出す寺院として、六郷満山の中心的寺院であったが、南北朝時代に入ると南北朝争乱にこの一帯も巻き込まれ、混乱が続いたようである。 一六世紀には吉弘氏氏が寺領支配権を握り、両子寺も支配下にあったことが「太宰府管内志」などからうかがえる。しかし、江戸時代になってからこの両子寺は、吉弘家滅亡などにより杵築候の崇拝を受け、その保護のもと杵築藩の最高祈願所となり、以降六郷満山の惣録所として六郷満山を支配することになったのである。 平成五年三月 安岐町教育委員会 ※両子寺内の看板より(縦書き) |
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町指定有形文化財(昭和五十五年六月十五日指定) 両子寺崖上国東塔(両子寺国東塔二号) 所 在 地 大分県東国東郡安岐町大字両子 所有者又は管理者 両 子 寺 年 代 十四世紀中期(南北朝中期) 国東半島独特の特徴をもつ国東塔は納経、供養、逆修また墓標として建立された。この塔は塔身の首部に穴があり、塔身の下に蓮華座や反花よりなる台座があることが他の宝塔と比べると異なる。 両子寺崖上国東塔は基礎が三重で三重目には各面二ヶ格侠間を入れている。その上には下向きの蓮華台座があり、塔身は石造国東塔(両子寺国東塔第一号)に比べ丸みを帯びる。 総高は二〇七cmで石材は角閃岩である。 安岐町教育委員会 |