国道10号線を西屋敷駅を過ぎて大分方面に向かっていくと、ついつい気になる標柱がありました。その標柱には「地蔵峠」と書かれています。別の機会に峠の反対側に行った時も同じ看板が立っていたので、きっと由緒ある峠かなと思い、検索をすると案外情報がありません。 とりああえず、検索をかけた範囲の情報では16世紀(1534年)に大友、大内氏の両氏が大村山、地蔵峠〜立石峠あたり一帯で「勢場ヶ原の合戦 ( せいばがはるのかっせん)」があり、大友方では敵が 地蔵峠 か 立石峠 の方向から攻めてくるものと判断し、軍勢を三隊に分けて布陣しました。 本陣は大村山の山頂に置き、1,000人が詰め、残りは地蔵峠と立石峠に分けて置き対処しました。最初は大内軍が勝利した様子だったそうですが、地蔵峠、立石峠で待機していた部下が勝利に喜んでいた大内勢を返り討ちに合わせ、結果的に大内勢は敗走したとのことで、結果的に引き分けの戦として位置づけられているようです。 大村山の頂上には吉弘氏直 寒田親将などの供養碑があり、また山麓にある数十基の板碑は大内方の供養塔が立てられているとのことです。 でもって、10号線から標柱の立っている道に入り、舗装道路をしばらく進むと道が未舗装となります。Y字路になっていて右折しますが、この先の舗装状況は余りよく無いので、Y字の手前が少し広くなっているので車を止めて歩きます。途中、道がえぐれていたりしている場所を歩いていくと、やや広い行き止まりになり本来はここまで車が来ることができたようですが現状では無理です。また、ここから「地蔵峠」の看板が掛けられ、ここからは普通の登山道となります。基本的に杉林の中の道は案外急登で、車を止めた場所から約25分で峠に着きます。峠には標柱と少し上に祠があり「定尾野村」の銘があり「天明(1780年頃)」の文字が刻まれています。 ということで、以前から気になっている疑問が解決しました。 |
ア ク セ ス |
@国道10号線を宇佐から大分方面に向かい、九州百名山「津波戸山」の入口の看板(信号機あり)を過ぎ、400m位の所に「地蔵峠」と書かれた標柱を右折します。 A約1kmほど進むとY字路がありここから先は舗装状況が悪いので、このあたりに車を止めます。 |
総合 評価 |
登山道 | 標識 | 山道 展望 |
山頂 展望 |
自然 | 被写体 | 体力 | 携帯 | GPS | 駐車場 | ロープ | 赤テープ |
− | 3 | 4 | 2 | − | 2 | 2 | 1 | ? | 4 | 2 | 不要 | 不要 |
歩いた時間 1時間ほど |
(1) 地蔵峠の入口と津波戸山 |
(2) 今回車を止めた場所。○の中は地蔵峠の看板 |
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(3) 道が壊れています。 |
(4) 本来の道が行き止まりになった所。右側の木に看板が掛けられています。 |
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(5) 途中の看板 |
(6) 峠直前。 |
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(7) 立石側から登ってくると左上に祠が建てられています。 |
(8) 祠に書かれている文字。 |