金曜日の新聞に目を通していると、史跡に指定されている城井掩体壕が発掘され、土、日で説明か開催される記事を発見! 土曜日は山に行く気満々でしたが、夜中の雨雲の多さにふて寝した後だったので、14時からの説明会に出かけてきました。 本来の目的は雨漏りによる老朽化防止が目的で、防水工事をするにあたり掩体壕に盛られた土を除去する必要があり、せっかくならと防水工事前に発掘調査を行ったそうです。 当日は教育委員会の説明に加え、他に市内の建築関係で今回の発掘に有志で協力している建築会社の方も説明に加わり、構造物として掩体壕の説明もありました。説明後は掩体壕の側に立てられたやぐらの上からの見学もあり興味深い時間を過ごすことができました。 宇佐海軍航空隊の歴史的背景等は割愛しますが、特攻隊の基地として一旦宇佐に集まり、それから鹿児島に移動、その後、特攻作戦に向かったとされています。鹿児島といえば知覧ですが、ここは「陸軍」の航空隊だったため、海軍所属の宇佐航空隊からは現在自衛隊の基地がある「鹿屋」へ飛び立ったようです。宇佐から出撃した戦死者は154名。 建築的調査では、16mmの鉄筋が使用されていること、前と後ろでは後方部分が造られてから、前方の頑丈な部分が造られたこと、耐震性は「1」で現在の基準にも適合する。ちなみに宇佐市役所現庁舎は0.6。コンクリも当時の工作物の基準で甲乙丙があるなか重要なものを護ための「甲」に該当し、コンクリの厚さが30cm以上ある。コンクリの強度もかなり高い。などなど。 その後、ネットで資料を検索すると「丙」に該当するようです。「甲」の場合、コンクリの厚さは100cm! その資料と当日の説明資料も掲載してます。 説明を聞いた後、改めて発掘された掩体壕を見るとかなりの土量で覆われていたことを認識。また資料にもあるように後方部分には足跡が多く残されてます。 説明会は2019年(令和元年)9月28、29日に開催されましたが、発掘された掩体壕は、しばらく見ることができると思います。ちなみに工事期間は7月26日〜11月25日です。 この掩体壕のすぐ側には平和資料館が建設されることになっています。ちょうど、いろいろなことが重なり工事費用が膨らんだため一時、建設を中断していますが、改めて完成を楽しみにしています。 |
(1) 新聞記事。大分版に掲載された記事。 (2)現在の様子 (3)説明会。 (4)櫓から見た掩体壕の屋根。白い印が足跡。 (5)魚眼。以下、いろんな角度から。 (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12)コンクリの基礎部分が、かなり下まであったんです (13) (14) (15) (16)当時使用されていた釘、鎹 (17)以前の姿。これと比べると、後方部分にかなり覆土があったことが分かります。 以下、当日の資料 (18)1ページ (19)2ページ (20)3ページ (21)4ページ 当時の構造基準 (22) (23)コンクリの厚さの記載 (24) (25) |