年末、もう一度登るつもりだったので年末の挨拶もできないままの年末でした。
孫たちの五月雨な襲来の合間を縫って、なんとか1月1日の朝駆けにこぎ着けました。
昨年は社会全般でコロナが蔓延するなか動きにくい状況もありましたが、個人的にはほぼ県内のみの活動だし、参加したトレイルも実際に参加してみると感染なんてあり得ない状況でした。
それよりも、12月に参戦予定だった英彦山トレイル、南阿蘇かるでらトレイルは足の不具合によりほとんどDNSに近いDNF、前日軽く走ったら傷み始め出走断念となり今のところ不具合が継続中です。とはいえ、山に登るのはなんとか耐えてくれてます。
年末恒例、除夜の鐘を聞きながら新年の挨拶を済ませ早々に布団に潜り込み3時に起床し、正面登山口に4時半前に着くと、なんとすでに満車(-_-) 正直元旦の朝を舐めてました。
やむを得ず有料駐車場に駐車。でも、下山後の駐車状況はたいしたこと無かった。
真夜中のラジオは年初めの山にふさわしく田中陽希さんでした。
説明する必要はないと思いますが、昨年8月に300名山を終えてのインタビューでした。コロナ禍での300名山のため3年半ほど時間を要したそう。
また100、200名山まではいかに速く踏破することを目指したので1日50kmを目安に歩き、時間との闘いでもあったこと。でも300名山になってからは、時間ではなく山にまつわる文化、歴史にも触れることも視野に入れた歩きへ変更。
地域の祭りが数日後に開催されることが分かれば数日間滞留、地元の方がこの山域は自然に恵まれていると聞けば獣道のような登山道も歩いたそう。
思い出深かったことを聞かれると山形県で全国で緊急事態宣言が発出され宿も自粛を要請された際、主人が役場に掛け合って1ヶ月ほど滞留したこと、島根県地震(たぶん)に遭遇し宿が半壊状態になりボランティア活動をするかどうか迷っていると、宿の方がそれを察して「自分たちのことは気にせず出発してください」と言って頂いたこと。
見た目とは裏腹にインタビューの態度や発言はとても穏やかで、人間味あふれる印象でした。実は、BSを導入してないので田中さんの人となりに触れる機会が殆ど無かったので、田中さんの行く先で歓迎されるのが分かるような気がしました。
登山口を5時前に出発。山頂手前の防寒準備を踏まえ陽の出前30分には到着しそう。三脚どうしようと思ったけど、圧雪の情報もあったので時間が掛ることを想定し少しでも軽量化して出発・・・するもマタエ過ぎた辺りからガスっぽいぜ(-_-)
確かに、登山口からぱっと見だったけど山頂付近の稜線が不明瞭だったのはこういうことか。 山頂にはすでに2人、自分をいれて3名で待機状態へ突入。といっても風はそれほど強くなく寒いけど極寒というほどでは無い。
陽の出近くに、軽装の方が1名登ってこられたけど案の定10分ほどで撤収。そうこうしていると、もう一人が下山し二人で待機するも、最後の方が下り始めた頃東峰方面がトキ色に染まり、一瞬太陽が見えたので「きたっ!」と一言。
下りかけた方も慌ててザックを下ろし激写態勢に入りました。
そこからは、ご覧の通り口で説明するより見て頂いた方が綺麗な景色が360度、1時間にわたり繰り広げられました。ようやく、見え始めた東峰山頂にはひしめき合うように朝駆けご来光狙いの方が見えました。
8時を回った頃にはガスも消え穏やかな新年の由布岳の姿となり、何度も振り返りながら元旦朝駆けを堪能することが出来ました。
年の初めに今年の運を使い切ったような朝駆けで始まりました。今年も、由布岳、祖母山、傾山メインの山ライフとなるのは必至であります。今年は年男で区切りとなる年でもありどう山に向かうべきか・・・なんて考える前に登ってそう(^^;)
自分でも毎度ルーチンな内容と想像してますが、今年もよろしくお願いします。
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