祖母山・神掛岩ルート(2018.3.31)
 標高の高い所では紅葉情報が溢れ久々に大船山に行ってみようか・・・と思うも、掲載される写真を日々眺めてると色合いが変(-_-) 緊急事態宣言が解除され、へーじつでも路駐大発生らしいし、山の中も人多そうだし止めた。

 祖母山にのぼろ。紅葉はあまり期待せず朝駆け。真夜中の駐車場には3、4台。下山後の駐車場は第一、第二も満車。
やはり北谷が封鎖されてることもあるのか、下山中もこのルートとは思えない人数とすれ違いました。

 駐車場には3時過ぎに到着。陽の出は6時半。朝駆けは出来れば陽の出前1時間には着きたい、つーことは5時半か〜
 無理!出発したのが3時45分だし、出発して100歩ほど歩いた時点で、三脚置いてくれば良かった、と考えながら、さらに50歩ほど歩いてボッカでいこ。つーことは三脚使わんかもしれん(^_^;)

 今日もストック無し。ただ、先週の由布岳ピストンの後だったので、あまり走ってないこともあり、以外と足がフッレシュ、ふれっしゅ、フレッ〜シュ〜♪ なんだかんだ言いながら、陽の出前45分ほどで山頂到着。水平線にオレンジラインが登り始めた頃。
 
 真夜中のラジオはスティング特集。懐かし〜 ポリスの頃から良く聞いてたしソロに鳴ってからもしばらくはレコード買ってた。
 「見つめていたい」「イングリッシュマンinニューヨーク」等々。どの時代の曲を聴いてもアレンジがシンプルで乾いた音源はロックの原点ともいえる。その対局はクイーンかなぁ。シンプルな音だけに耳に色あせない。

 前後して小沢信夫さんのインタビュー。誰?って思いつつも今年3月、93歳で亡くなったと聞いて、そーいえば新聞に大きく出てた方! 画家・山下清を描いた「裸の大将一代記」の作者だそう。

 印象に残った話。終戦時18歳くらい。無条件降伏を受け入れた数日後、証拠隠滅のため軍人たちが一斉に証拠書類を燃やし始め、世の中が180度変わった様子を目の当たりにして、大人たちに不信感を抱いたと。戦前戦後の世の中の激変ぶりは、特に戦前の教育を受けてきた世代には受け入れがたかったことは想像に難くない。

 早朝の山頂はまずまず。今回も障子岳から本谷山にかけてガスが湧き、時折祖母山に向かって来るも前回のように、ガスに囲まれることもなく、透明度が高いわけでもなく来た道を戻ることに。帰りは、のんびり紅葉の様子を確かめながら下っていきます。

 くじゅうのような派手さはないけど、所々で緑の中で見上げる紅葉は綺麗。今回は主に国観峠〜五合目小屋上の階段の上ら辺りで多く見かけました。
 下山後、神原川に沿って下りながら見る木々の葉色は変・・・極端な言い方をすると枯れてる、腐ってるみたいな印象。
 綺麗な紅葉も見かけたけど少ないかも。

 翌日は孫の行事で別府市の富士見どおりへ。富士見通りを封鎖してのマーチングフェスティバルの路上パフォーマンス。
 孫は幼稚園の行事として参加しグローバルタワーから別府市役所までしっかり行進。その後、有名どころ(多分)の高校などを見ることができました(^^)。
 
 高校生にとってコロナで披露する機会が減ってるだけに、見てる方も勢いを感じてることが出来ました。最終の高等学校が通過した後は一瞬だけ富士見通りがホコ天へ〜(^^) 思わず楽しんだ一時でした。 








 
 (1)まずまず・・・変化は期待出来ないかなぁ



   
 (2)本谷山方面はガス



   
 (3)ぐらでーしょん




 (4)傾山にも時折ガスが掛かり始め、

 


 (5)こちらもガス拡大中(^_^;)




(6)前回の朝駆けと似たような景色である。覚悟はしている(^_^;)




(7)裏やけのくじゅう連山




(8)陽の出前。




(9)ビみょーな陽の出




(10)光を捕らえきれない




(11)とりあえず。




(12)障子岳方面のガスの動きが怪しい




(13)盛り上がってる(^_^;)




(14)前回ほどではなく細切れのよう




(15)障子岳からは離れないガス




(16)そろそろくだろ




(17)




(18)




(19)少し色づき始めてる




(20)赤〜




(21)難所になりつつある階段




(22)静かな紅葉




(23)日が当たると眩しい




(24)




(25)見上げて




(26)覗き込んで




(27)




(28)




(29)満車御礼




(30)翌日の別府市のマーチングフェスティバル、路上パフォーマンス。




(31)最後の高校の後ろのためホコ天状態




(32)富士見通りのホコ天(^_^;)




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